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〈弥生時代~〉
中国大陸より西日本に広がった水田稲作技術 |
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数百年間に、東日本・北日本・・・日本中に広がる
〔同時に、人工の水田を つくると 言うことは、天然の照葉林や落葉広葉樹を壊していくという 反面も・・・〕 |
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しかし 平らな土地が一面水田に なるのは ずーっと あと |
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〈鎌倉時代ごろまで〉
様々な品種のが 混作されていた
多様性が保たれていれば、冷夏や日照りなどの天候不順や異常気象でも 全滅するという難から逃れられる。 |
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〈室町時代以降〉
様々な品種が 各地方で増え、また その品種と土地との関係の良いものとの組み合わせを考え、農作する。
多様種から単一種の栽培へと 移り変わる。
多様種と違い、単一栽培は 栽培方法とうが扱いやすい。
このことから“早生”・“中世”・“晩生” また “モチ米”・“うるち米”等の 区別が認識されだす。 |
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〈明治末期〉
他地域での栽培品種の交換が行われ、一時は670品種のの稲栽培が行われていたが、国の政策による整備が行われ、栽培面積500ヘクタール以上の品種は約50品種ほどになった。 |
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肥料として、アシ・カヤの堆肥、家畜のフン、豆かす、魚かすを 利用 |
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人工合成の化学肥料の開発→散布栽培の定着 |
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収穫が 増える |
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しかし 豊富な栄養で 稲の茎や葉が柔らかくなり、害虫や病原菌がはびこり、雑草も生長しやすくなった。 |
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そこで “殺虫剤”・“除草剤”などの 農薬が開発→定着 |
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生態系が 急激に荒れ始め、〈有機栽培法〉の大切さが 叫ばれる時代となった |